広島原子爆弾が1945年8月6日午前8時15分に投下されて炸裂した。広島原子爆弾の炸裂から発する激烈なるすさまじい爆風の圧力、爆風、熱線の威力が複合して押し寄せた。熱線を、男性は悲惨な重度の火傷を背中一面に受傷した。火傷には、ひどいびらんにより、一面に表皮が破れ落ちた。その火傷とそれに伴う疼痛によって、救護所のふとんに仰向けになったままで、背中を下にできなかった。そのために背中を上にして、苦悶してうつ伏せに寝込むしかなかった。少しでも身体を動かすものなら、傷口が干割れして、中から膿血がタラタラと流れて飛び上がるほど疼痛を伴った。毎日うつ伏せの寝たきり状態で苦痛を耐え忍んだ。
人体に熱傷を与えたのは、爆発後の0.3秒から3秒の間に放射された赤外線であった。衣服をまとわぬ人体皮膚の熱線熱傷は、広島で爆心地から約3.5kmまで、長崎で約4kmまで及んだ。熱線による織物や木材などの黒こげは、広島で爆心地から約3kmまで、長崎では
約3.5kmまで及んだ。両都市とも爆心地から約1.2km以内で遮蔽のなかった人体かに致命的な熱線熱傷を受け、被爆死の約20から30%が原子爆弾による熱傷と推定された。
原子爆弾の炸裂直後から発したわずか数秒間の激烈な熱線により、被爆者の建物や衣服や十分に遮断されていない皮膚に放射された。凄まじい熱戦により、重度の火傷による犠牲をもたらした。爆心地からの距離により火傷の程度は異なった。前方向から被爆した人は腹部に火傷、後方向から被爆した人は背中側が火傷を受傷した。重度の火傷になると表皮は焼けただれてはがれ落ち、皮下の軟部組織や骨まで開放して露出した。