広島原子爆弾の原子雲が、爆心地から西南方向に約20kmの日本海軍の工廠砲煩実験部から撮影された。広島県呉市吉浦町(現・若葉町)から、炸裂後の約40分後の午前9時頃のきのこ雲を、白黒写真で撮影された。吹き上がる巨大なきのこ雲が、生々しくオレンジ色に染めて、広島市の爆心地付近では熱線で約4000度近くにも達した。
白黒のきのこ雲を、東京大学大学院情報学環の渡邉英徳教授と広島市出身の庭田杏珠らは、AI技術でカラー化した。AI技術で約10%は自動化でカラーされる。ピンクも黄色も薄緑も、淡いグレーとなる。その他は、被爆体験者の記憶や歴史考証から補正された。白黒写真が色彩を帯びることで、原子爆弾を転写して、戦争の歴史が現代に地続きになり、実感される。(出典: 週刊ポスト・第54巻第26号、2022年8月5日)。アニメ映画『この世界の片隅に』の片渕須直監督の指摘から、赤みがかった雲をオレンジ色に、地上から立ち上った白い雲が覆い隠した。コンピューターソフトで解析した色彩を、年代や当時の文化等を精査して再構築する仕組みである。本当の色彩は不明であり、完全な再現は困難で、解析した仕組みが決めた色彩に変換された。色彩の復元ではなく、白黒からカラー色を推測して再塗装した。
広島県海田町から呉海軍工廠火工品部設計係に勤務していた31歳の尾木正己は、炸裂時は室内で兵器の設計の仕事中で、鉛筆を持つ手が持ち上がるほどの轟音が聞こえた。仕事を中断して、ドイツ製ライカできのこ雲を撮影した(広島原爆戦災史、第三巻、第二編、第二章、原子雲)。日本軍が作成した記録によると、原子雲の中で何かが燃えているように見え、強い火花と閃光が煙雲の中で大規模な火災のように見えた。吉浦の近くに、8月6日午後5時頃になって被爆者が続々と避難してきた。吉浦駅では、衣服の引き裂けた血のにじんだ服装で、血の気が失せた人々が呆然とホームを徘徊していた。8月7日朝に出勤して、広島市に海軍工廠として火工兵器の経験者として救援隊を出した。トラック3台に工員が分乗して、広島市に向う一員に参加して8月7日に被爆直後の広島市内を撮影した。