11/03/2017

They carried a stretcher with bamboo for relief works and carried the victims of the Nagasaki atomic bomb to the rescue center.

長崎原子爆弾の爆心地から南約1kmの浦上駅付近では、炸裂した翌日の1945年8月30日の昼頃には、救護活動が開始されいた。竹を棒にした担架により、市民らも含めて数名で担いで、犠牲者を救護所まで運んだ。