11/03/2018

A huge number of survivors rushed to Michino Station through Nagasaki Main Linen near about 3.5 km north-northwest of Nagasaki City. (Nagasaki)

長崎原子爆弾が1945年8月6日午前11時2分に投下されて、長崎市内は壊滅した。生存していた膨大な被爆者が、長崎市内から北北西約3.5kmにある長崎本線の道ノ駅に殺到した。直ちに、大村海軍病院から8月9日に第1次救護隊が派遣された。8月10日に第2次救護隊と交代した。重態の被爆者は、大村海軍病院に列車で護送された。8月10日の午後に、大村海軍病院の第2救護隊が、背部に重度の熱傷を受けた被爆者に、薬液を医師と看護婦が塗布した。その間にも、続々とリヤカーで被爆者が道ノ駅に搬送されて、手当の順番を待ったその間にも、多数の被爆者が道の駅で死亡した。